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さよひめ戦記535 005 [小説2]

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朝鮮半島南岸に発した騎馬民族の一つが海峡を南下し、征服を行ったのがつい百年ほど前のことである。

彼らはたちまち弓なりの列島のほぼ半分を制圧し、倭(イ)の王朝を開いた。
そして各地に王族を配置し、その勢力を拡大していった。
しかし、その制覇はつかのまのものであり、各地の王族たちは土着して、宗家である倭王朝に敬意を払わなくなっていった。

倭王朝は対馬を中心として朝鮮半島南岸と九州南岸に広がった海洋王国である。
北は朝鮮半島中部、南は九州全域、そして列島の東へと拠点を置いていた。
しかし、数世代を経て・・・各地の拠点は独立の気運を高めていた。

九州の南岸・築道に都する倭はその五代目の大王となった磐の時代についに滅亡する運びとなる。
倭王磐を打ち倒したのは反乱王と呼ばれる耶麻人王である。

木の国に生まれた耶麻人王は賊として各地を転戦、ついに尾張の国の倭軍を撃破。
好戦的な新王家を開く。
さらに北上して越の国に遠征。
これも打ち破ると、近江、河内の両王を降伏させ、その王権を纂奪して一大勢力に膨張したのである。

耶麻人王の反乱に対し、その初期において倭大王は実力で介入することができなかった。
それは朝鮮半島側の隣国である百済、新羅の勢力拡張が同様に激しく、内戦の余裕がなかったからである。 一方、耶麻人王は敗軍の将をその能力に応じて陣営に加え、軍事国家の建設につとめた。
これに応え、河内王家の大伴、物部、蘇我の一族は積極的にこの新王を支持するに至る。 
この時、大伴の族長金村は戦略の天才を発揮、外交によって百済との同盟関係を成立させた。
倭王朝の朝鮮半島領土を分割占領することを約したのである。
同時に政略結婚により出雲王家、吉備王家などを着々と耶麻人王の陣営に加え、対峙する倭大王家に圧力を加えていった。
業を煮やした倭大王は新羅と同盟することにより、百済を牽制するとともに勢力を結集。
反乱軍の討伐に乗り出した。

しかし、それは耶麻人王の望むところでもあった。

西暦五二七年夏、倭大王軍と耶麻人王に降った近江王軍が穴戸の国で激突する。
宗家の誇りに燃えた倭軍は初戦に辛うじて勝利をおさめる。
だが、この激戦ですでに戦力を半減した倭軍は続いて進発した物部麁鹿火を将軍とする耶麻人軍を前に撤退を余儀なくされ、戦場は本拠地築道の国へと移って行った。

圧倒的な軍事力を背景に王の王たる位、大王を宣言した耶麻人王は義兄となった吉備三尾角折王、義父となった出雲根和王、そして実子の鷹皇子のそれぞれが率いる三軍により侵攻を開始した。
さらに物部麁鹿火将軍指揮下の主力軍に築道の都を急襲させたのであった。
結果は耶麻人軍の圧勝。築道の都、祝の宮は耶麻人大王軍に占領された。

倭軍に残されたのは残った兵力を温存しながらの退却戦法だけとなった。

後退できるだけ後退し、耶麻人大王軍の補給線がのびきって兵糧不足に陥るのを待つ倭軍の残存兵。
しかし、この消極的な戦法は耶麻人軍を利するばかりだった。
まず、倭の葛子皇子が食料基地の一つ糟屋で降伏し、倭軍は山間部に押しやられる。
そして八女の砦への敗走中に謀反を起こした火武王と物部軍の挟撃に会う。
西暦五二八年冬の御井の合戦である。
この戦いで倭軍は壊滅的打撃を受け、倭王は筑紫山地を豊の国へと落ちのびていく。
まさに敗戦につぐ敗戦の連続ですでに王につき従うのは数騎のみであった。
そして最後に悲運の磐倭王を待っていたのは豊王の裏切り。
物部軍の追撃部隊に恐れをなした豊王は山里に身を隠した磐倭王に刺客を送り、倭奴の山で末子の宇美皇子もろとも倭の大王を暗殺した。
こうして事実上倭国は滅亡する。

森の中の三人はその倭国の軍人であった。
度重なる敗戦を生き延び、御井の戦で負傷し、友軍とはぐれて山に潜み、戦線復帰のためにその傷を癒していた。
それぞれが耶麻人の兵に親兄弟を殺され、もはや恨みは拭いきれず、心は暗く燃えている。
まして国の滅びた今、帰る家を失った彼らには希望がなくなっていた。

ただ復讐の念だけが胸を焦がす。

つづき→http://kid-blog.blog.so-net.ne.jp/2009-11-11
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